2006年1月15日 (日曜日)

Ekitano1 年初ということで整理していたら、安岡先生の「易とは何か」という本が出てきたので、久しぶりに一気に読んでしまいました。2001年初版ですが講義は昭和40年代から50年代にかけて先生が行われたもののまとめであり、私にとっても散逸する思考の根幹をまとめてくれた重要な書になります。

易とは立命を説くもの。真髄は不易、変易、簡易。人は得てして目の前に起こる事象を宿命と捉え、生まれながらに決定的なもの、人間の作為が許されない大自然の理法により決定的なものと決め付けてそこに留まり易い。そうではなく、人は造化の一部分として自分を自覚することが出来、作り出すことが出来る。すなわちこれが立命。

陰陽とは相対性原理。対立しつつ相待つ。陽の活動表現、分化発展、枝葉繁茂と、陰の統一含蓄、根源が循環することを説明するもの。陽はいずれ破綻し枯れて陰に戻り、またそこから内包されたエネルギーが陽に向かう。陽とは限定、陰とは全体。どちらがいいということではない。

ということから説明してくれています。迷っている方にお勧めです。

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江戸侍

安岡先生はおっしゃっている。徳川時代が300年近い平和と統一を守ることが出来た背景には対外的には鎖国政策であり、国内的には江戸の中央政府と地方の二百六十余藩による分権政治により田舎侍がいたことで、頽廃、堕落、破滅することがなかった。もし、江戸幕府の中央政府だけだったら百年も持たなかったであろう。都にいる江戸侍などは非常に早く頽廃堕落したことであろう・・・と。

今、明治維新より140年。終戦後60年。中央集権政治による様々な疲弊がそこかしこに溢れている。栄枯盛衰。歴史は繰り返す。地方を回ると今の日本の姿が垣間見える。地方の素朴さ、これは素晴らしいのに、予算という名前による容赦ない開発で自然の破壊は当然のごとくになっている。便利さの追求、これが本当に人間の目指すところなのであろうか?それにはっきりと疑問を唱えている地方はまだ見当たらない。

現代の世を選んで生まれてきた我々は現世で何をすべきか?生まれてきた目的は自己の意識体を成長させるために行動し挑戦していくことだが、その為に誰と、どこで、何をするのか、が重要になる。どの道を選ぶのか、それは本人の決めることだが、その基準をどこに置くかで現世での生き方は変わる。

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