2009年3月26日 (木曜日)

退官

退官
今日は故あって東京にいます。
やるべき事を終え、フト書棚にあった少しばかり読みかけの本書を手にすると、吸い込まれるように一気に読んでしまいました。

松下幸之助氏の著作は10代の頃から読んでいましたが、なぜ、飯田先生が松下幸之助氏のことを題材にするんだろうと疑問に思っていたのですが、読んでみてビックリ(@_@。

そのどれにも劣らず飯田先生による注釈本のような存在の本書は、松下氏が直接飯田先生の枕元に立ち、執筆を願われたという、とてつもないものです。

結果、その日から二ヶ月で松下幸之助発言集45巻を読み込み、その原典に基づいて本書を執筆されるということは、驚異的なことだと思います。

脱稿が2008年10月、初版が2008年12月3日、夢枕に立ったのは8月20日。なぜ、この時期にこの本が著されたのか。時期は、日本経済ツルベ落としのど真ん中。飯田先生をして、松下幸之助氏が皆にもう一度原点を見つめよと言われているような内容でした。

いま方向性を見失ってしまったり、勇気を失っている人たちにはぜひ読んでもらいたい書ですね。

昨日三月二十五日をもって飯田史彦先生は福島大学の公式行事の参加は終了し、退官されます。

今後の活躍をご期待申し上げます。

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2008年7月19日 (土曜日)

原点

原点
今日は久々に東京にいます。
昨日、一昨日と満月の光を浴びながらまた、自分を見つめる時間が出来たようです。
こういうときには必ず読み返すのが私の原点を作った書物たち。その中でも大いに影響を与えられたのがこの2冊。
飯田史彦著『生きがいの創造』と司馬遼太郎の『竜馬がゆく』。
『竜馬がゆく』は10代の頃から読み返してきた本で私の希望を不動のものにした書。
『生きがいの創造』は国立大教授という肩書きで生まれ変わりの説明を明確にすることで、現代の日本におけるスピリチュアルの方向性を明確に説明された書。
古来日本では、中国伝来の四書五経の筆頭に『易経』を据えたほど、陰陽や変化、無常観、シンクロニシティ、スピリチュアリティには理解があった。戦国時代をピークに1000年以上にわたって戦をし続けてきた民族は世界でも稀で、その中でさまざまな生き様や人間関係を学び築きあげ文化として継承してきたのが日本人。その世界最強といわれる日本に挑んで、戦争には勝ったけど二度とその民族性を再興させてはならじと企んで、さまざまな枷を嵌めたのがアメリカ。でも、そこは人知の及ぶものではなくアメリカの政策も戦後60年を超えて急速にほころびはじめている。
現代の日本は幕末の頃のような国体がひっくり返るような激動になるわけではないが、いまのままでは済むことはない。日本が抱えるGDPの2倍にもなる借金はいずれ返さねばならず、その過程においては強烈なインフレに見舞われざるをえない。昨日の常識が今日は非常識になるような変化である。ただ、そのようなときにさえ、日本人は対処能力が高い民族だから必ず乗り越えられる。現代の日本に生まれるということはその経験をするということである。
私にとってその歴史的ドラマを見せてくれたのが『竜馬がゆく』であり、人間の根源的本質を整理して教えてくれたのが『決定版 生きがいの創造』なのである。
「我々の本質は光。今生にまとっている体は一定の期間そこに宿っておく入れ物に過ぎない。今生の終わりに自分がもらうことが出来る愛情の深さや善意は、我々が人生の中で人に与えてきた愛情と善意に匹敵する。行動基準は自分がそうしてほしいと思うことを人に施すことである。」
という言葉が今回、印象に残った。

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2006年3月25日 (土曜日)

ツインソウル

Twin ついに出ました。飯田先生究極の一冊「ツインソウル」。ツインソウルといっても恋愛本ではなく、その根底となっているのは、何故我々は生まれてきたのか?ということの回答であり、自らが「死」を経験する事で、今までの論理を事実として証明してしまった書。これ以上の納得はありません!!

・・・私の魂は同時にあらゆる存在と『つながって』いた。

魂の世界に戻ると、我々が物質世界で行っている物理的行為など全く興味がない。誰かに見られているんじゃないかとか、他人の目で評価される心配など一切無用。煩悩や欲望はこの物質世界で生きるときのみ。向こうの世界では、怒り、憎しみ、嫉妬、嫌悪という感情が、愛、正義、使命感に取って代わる。人間社会で成すべきことは、自らが充分に学ぶ事に努力し、自分を愛し人を愛する事に努力し、自らの使命感を果たす事に努力するのみ。いわゆる人間社会で言うところの「成功」に価値はない。努力した結果としての成功、成果、地位、名誉、お金、財産が評価される事はないのである。学び、愛し、使命を果たそうと努力したならば、その結果として社会的に成功したかどうかに関わらず、その努力こそが望ましい人生なのである。たとえ、人間社会で成功したとしてもそこに学び、愛し、使命を果たそうと努力したのでなければ、それは望ましくない人生である。働く目的も同じ。充分に学び、愛し、使命を果たすため。その結果は一切気にする必要はない。結果がうまくいかずに空しいと思う事からでも学ぶ事ができる。すべての事象、あらゆる経験は学びのためにある。

真の成功とは自分自身が学び、愛し、使命を果たそうとして充分に努力していると自己評価できること。人生を終え、宇宙の子として戻るときには誰もがみな同じく完璧に謙虚になる。宇宙と呼ぶものを理屈で理解しようとしても無理。

人間社会において、歴史的な発明、発見の大半は直感においてひらめいたものをあとから理論付けたもの。ひらめくとは、『光』の次元に意識をつなげること。物質世界で生きる人間には、人生の真理を論理的に理解し、言葉で表現することは不可能。非論理的に感覚の上で理解するのみ。直感以上に心の奥ではすべて理解している。理解するのではなく思い出すもの。

死ぬこと、すなわち向こうの次元に戻ることができるのは自分の意思で死を選び取った魂のみ。そこで『生』を選び取った魂は元の肉体へと戻っていく。宇宙とは自分であり、自分の中に存在するものである。神仏も同じ、自らの中にある。人間はみな魂が神仏とつながっており、人はその一部であるという事。神仏と対話するという事は、自分自身の中にある本当の自分と対話しているのだ。人が生きるうえで必要な真理は太古から存在する言葉や教えの中にあり、真新しいものではなく、さまざまな教えの相違を指摘するものでもなく、そこに共通する原理を見つけること。

人は世のため人のために生きるにあらず。自分のために生きること。人生とは山を登るようなもの。それぞれの人によって登る山が違う。高い山、低い山、なだらかな山、険しい山、どの山に登るかは、それぞれの魂の自由。大回りしても良いし、一直線に登るのもよい。どのような山をいかなる登り方をしようとも、登り終えたときの価値に差はない。その選んだ山は、自分に最も適した山である。真理というものはきわめて単純かつ純粋。おのれの魂がこの人生を生きることを選んだのである。自分のために自分の選んだ山を自分のペースで登る事によって、その過程そのものが、世のため人のためになっている。

人生の目的とは、自分の成長のために自分なりの学びを積む価値ある人生を生きようと考えるだけで、世のため人のために生きることになるのである。自分自身を愛して生きる事によって、他の人々をも苦もなく愛せるようになるのだ。我々の魂は、物質世界で人間として生きる人生を自分自身で計画した上で自分が選んだ肉体につながっていく。そして、その肉体と同化し、その肉体の脳を操作しながら、『人生という学びの機会を過ごしていく』

自ら予定した、順調な学びを強制的かつ自動的にかき乱す仕組みをわざと自らの内部に埋め込んでおく人々もいる。その想定外の混乱を通じた極限の学びを自らに強いるのである。それまで、一定レベルの学びを積んだ魂の人生において、このような想定外の試練を生じる事によって学ぶのである。それほどの試練に直面した魂は誇りを持って立ち向かうべきである。

人が成すべきこととは、いかなる試練が生じたとしても耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、泣きたければ泣き、すがりたければすがりながら、果敢に挑戦し、地道な努力によって乗り越えていく事である。人は生きるうえで、誇り高く生きること。自信を決して無くさないことである。また、祈りの力を信じる事である。祈る事で、まぶしい光の次元に魂をつなげること。そうすれば、傷ついた魂に立ち上がって歩き出すためのエネルギーが送られる。祈る事で、より高い波調の次元につながることが出来るのだ。

・・・以上が、読んでいて感じ入った言葉である。何度も何度も同じ言葉のシャワーによって読む側の心にどんどん入ってくる手法はここに極まった感じである。

ぜひ皆さんも読んでみていただきたい一書である。

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2006年1月17日 (火曜日)

飯田史彦著 生きがいの創造

Ikigai やっぱり出てきました。極めつけ。「生きがいの創造 新版」

人の道は慈悲、希望、信仰、愛などであり、生きている間にこの道を学ぶ必要がある。ある者は速く、ある者はゆっくりと。これらは切り離すことができず、すべてつながっている。大切なことは忍耐とタイミングである。すべてのことには時がある。あせってはならない。人生は多くの人が期待するような予定通りにいくことはない。その時々にやってくるものを受け入れ、そのときにはそれ以上を望まないこと。望みはいずれ必ずかなう。生命に終わりはない。人は決して死なないし、新たに生まれることもない。ただ、いくつもの異なる場面を通り過ぎていくだけ。幼くして亡くなったり、障害を持って生まれた子は生まれながらにしてなすべき目的を知っている。彼らはそれ以上成長する必要はなく、周りの人、特に両親を成長させるためにその子供として生まれてきた。

現代の日本は、人類の歴史上、他の時代や地域に類を見ない物質主義の企業社会となる。世の中の思考が企業の経済的合理性に支配される。企業とは極限まで肥大化した物質主義組織である。この世界に必要なことがバランスである。物質主義的観点とスピリチュアルな観点の両方を兼ね備えるバランスが必要である。人間は物質界で生活しているのだから、物質的なものを否定する必要はない。物欲、地位欲、名誉欲などからも様々な学びをもたらしてくれる大切な欲望である。それらを捨てることによって学ぶことと、それらを追求することによって学ぶことのバランスをとることが学びなのである。スピリチュアルなものばかりにとらわれてしまうと、せっかく物質世界に生まれていながら、目の前の物質的現実から逃避するのと同じことである。スピリチュアルに傾きすぎた者は物質主義の利点を理解すること、物質主義に傾きすぎた者はスピリチュアルなものの大切さを訴えること。何よりも重要なことは両者のバランスを取る人生に挑戦することである。

先生が最初に発表した論文からもう10年がたちました。この10年間に起きた変化は「百匹目の猿」現象のように世界各地に波紋を投げかけ、留まるところを知りません。年末には100ccもの脳内出血で倒れられ、奇跡であるにもかかわらず、準備していたかのように後遺症もなく順調にご回復のご様子。復帰の暁には臨死体験者として、そして国立大学教授として、過去には誰もできなかった領域に踏み込まれることと思います。また、それが必要だからそのようなご経験をされたということを示されたものだと思います。これからも現世を生きていくための灯明を照らすかのようなご活躍を期待しています。そして、そのような時代に一緒に生かされているということにワクワクしながら感謝しております。

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2006年1月16日 (月曜日)

生きがいの本質

Honshitsu 片付けていたら、また出てきました。飯田先生の「生きがいの本質」。今となっては当時の様々なこともすべて受け容れらるようになっています。ついつい読み始めてしまうと止まりませんね・・・(^^ゞ

思い通りにならない世界で生きるという意味を考えること。生老病死、求不得苦、怨憎会苦、五蘊盛苦、仏の言う苦とはすなわち思い通りにならないことと同義。現世とは物質社会における思い通りにならない世界。苦悩するとは正しいこと。願いが叶うとは、時折出会えるご褒美。ご褒美は長く続かせてはいけない。思い通りにならないからこそ価値がある。現世でしか味わえないこと。その中にこそ学びの種がある。嫌なこと、損な事、つらいこと、一見すると価値など全くないと思うことの中にこそ学ぶ種がある。一般に考える財欲、地位欲、色欲、食欲、睡眠欲などは下の下。人間として生まれた目的はいつの世に生まれても同じ。意識体の成長である。その時の世界で有名になったり、金持ちになることではなく、その日その日に感じる目前の生老病死他人間盛苦にどう対処するか、そのキーワードは「逃げるな」ということ。我々は生まれる前に用意した問題集を解くために生まれてきた。それが毎日である。

と、いうことを読んでいると感じました。

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2006年1月 9日 (月曜日)

飯田先生のこと

昨年12月28日に脳内出血で倒れられた飯田先生が奇跡的に意識を取り戻され、その後も後遺症もなく順調に回復されているとのこと。「奇跡」という言葉では説明しつくすことが出来ない出来事だと思います。でも、それが現実に起こった。臨死体験までも経験されて!この現実をどう考えるか、だと思います。今までの常識が本当だと、どこまで言い切れるのか?「常識」の「非常識」が起こり始めている時代に突入し始めていると思うのです。

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2006年1月 5日 (木曜日)

挫折禁止

Zasetsukinshi 飯田先生のHPが今日更新されました。まだ予断は許されないようですが静養されているとのこと。先生からのメッセージでこの画像が掲げてありました。いい言葉ですね(^^♪

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2006年1月 4日 (水曜日)

飯田史彦著「ソウルメイト」

Iida01 飯田史彦先生「ソウルメイト」を一気に読んでしまいました。先生は昨年末の12/28に脳内出血を起こし緊急入院されているとの事。幸い、優秀な脳外科の先生の緊急手術によって意識は取り戻されたようで、安堵しました。お大事にされてください。

-以下は私の読書メモ-

人間の本質は肉体を超えた意識体である。その意識体がつながっている相手のことを「ソウルメイト」という。それは夫婦だけではなく親・兄弟・友人・知人・・・ライバルや敵さえもそうである。その根源は宇宙であり、宇宙そのものが意識体である。

はじめに宇宙という名の意識が存在し、それが物質を創造した。精神宇宙が先にあり、それが創造したものが物質宇宙である。すなわち、意味が現象に優先し、意識は常に成長を志向し続ける。物質社会とは成長を志向する意識体が創造した学びの場。なぜそれがあるのかという理由はない。なぜなら、宇宙そのものが「成長を志向する意識体」だから。精神宇宙は無限界の存在であり、満足点がない。その根本は無限の愛を実践するということ。物質社会とは自らの愛を確かめ、試練を与えられて研鑽する場所。地球は宇宙に存在する意識体たちの学校全体の一部。本来は意識体という存在自体、多面的多元的である。

今生の人生とは自分という意識が効率よく学びを積むために計画した試練や喜びの組み合わせ。すなわち問題集を自分で設計し自分という肉体を選んだもの。人生で起こる問題はすべて自分で自分に与えた試練。人間として生まれた目的は意識体だけでは経験できない人間関係や健康、死、について学ぶことである。財物はその派生。

自分の発した言葉や意識は必ず自分に返ってくる。自分に返して欲しいものだけを出すこと。人間関係の中で損得勘定は持つべきではない。完全に放棄すべきである。「このヒトから何ももらわないでかまわない。あげるだけあげる。」それが自分のため。

ソウルメイトの存在理由はお互いに「試練」と「喜び」を与え合うことで人間としての「学び」の材料となる二つの価値創造行為をするため。「試練」とは挑戦である。それを通じて成長する。「喜び」とは幸せな感情を喚起することで、試練に立ち向かうエネルギーを充填させる体験。期待以上の幸せ感が希望につながる。

仕事を取り巻く関係性の中では誰が上司や同僚部下となろうともあまり重要な要素ではない。大切なことは自分自身がその仲間とのコミュニケーションを通じて何を学ぶことができるかということ。仕事とは、資金、労力、時間等のコスト(資源)を使いながらそれ以上の価値を創造することである。新たな価値を生まない活動は遊びである。人間的成長こそが仕事の本来の目的であり、職場とはそのチャンスを得る場所である。自己の本質を発見し、自己を拡げたり、深めたりすることによって自己の価値と可能性を高める成長のための機会である。仕事とは損得勘定によって成立する経済活動であるからこそ、逆に仕事を通じて自分を損得勘定から解放する。これは人を愛することで損得勘定から開放されることと同じ。

人を判断しないとは、その人をそのまま受け入れるということ。何か言われてもそれで自分の価値が低くなるわけではない。ケンカは買わぬこと。仕事に使いこなされるか、使いこなすか。

生きる目的を「自分らしさの追求」に置くことで仕事はその為の道具、手段である。いかにして自分らしい人生、自分らしい毎日を送るかが基準。人生においてマイナスはない。すべて順調、予定通り。すべて自分が決めたこと。

以上

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2005年2月12日 (土曜日)

飯田先生講演会 in あさぎり

Cimg072312 飯田先生の講演を熊本県あさぎり町で聞いてきました。この日は「たまたま」あさぎりへ行く予定があり、先生のHPをこれも「たまたま」みていたら、その日に講演があるということで駆けつけました。その途中、電車の社内で読んでいた本が「たまたま」先生の「人生の価値」だったのですが、その日の講演内容がまさにこの本に書かれていることがほとんどで、とてもわかりやすくなんともありがたいことだと思いました。でも、これはすべてシンクロニシティの為せる技なのです。

-以下は私の講演メモ-

何故、日本人は宗教を持たなくなったのか?それはGHQによる戦後教育方針のため。宗教を持たないことがよいこと?だと教えてきたため。したがっていま、行き詰ったときや、ツライ経験に直面したときの対処法がわからない。

何故、宗教は生まれるのか?なかなか答えの見つからない衆生の人生に生きやすさを教えるため。それが聖書やお経である。でも現代の日本ではそういう話を正面からなかなかできない。

「生きがい」とはより価値ある人生を創造する意思のこと。生きがいを持つことが前提。自分が生きることが偶然と思うと意味がなくなる。偶然から必然へと考え方を変えること。「たまたま」から「それもご縁」ということ。今、生きるということにはよほどの理由があってのこと。自分に起こることは必ず理由がある。偶然など有り得ないのである。

トランスパーソナルという考え方。個人を超えて潜在意識は他者とつながっている。

自分の意思で両親を選ぶ。人生設計も生まれる前に自分で考えるのである。人は何回も生まれ変わる。地球上に始めて生まれ変わる人や何回も生まれ変わってくるのが人間。

自分に起こることは全部自分に必要なこと。病気になることだって順調なこと。その対処をすることで自分を成長させる。こんな自分でいいのだと許すこと。ありのままを受け入れること。他人から認めてもらう必要はない。誰もが必要なのである。この世に存在理由のない人などいない。

言葉を大切にすること。怒りは口に出してはいけない。何かを為そうと目指しすぎないこと。生きていくうえで間違いなどないということを学ぶこと。生きることとは学ぶこと。年をとること、病気になること、老いること、死ぬことだってできるのだ。地球に来ることは自分で選ぶ。人として勉強することは楽しいこと。今、地球に生まれようとしても順番待ちの状態。みんな楽しみにしている。自分に起こることは全部生まれる前に自分が計画していること。自分の可能性には限界がない。つらい事、思い通りにならないことこそが学び。失敗してもまた挑戦すること。日常を普通に生きるだけでよい。自分の夢は努力していけば必ずかなう。ただし、自分の欲望を満たす夢はなかなかかなわない。自分が幸せになることはかなう。人生とはもともと身に着けているものを剥ぎ取っていくことで玉を磨くようなもの。

仕事そのものに意味はない。仕事は道具。その仕事をすることで自分が生きる意味を見つけることができる。仕事の価値の大小は関係ない。自分がその仕事に呼ばれているかどうか。それぞれの人間が学ぶべき課題に出会うこと。自分が仕事を選ぶのではないのである。

今の言葉がさまざまな宗教が言っていることと同様であるということは、情報の根源が同じだからということ。宗教家がそう言えたのは自己催眠により今のトランスパーソナルな状態を経験したからである。人生とは結果主義や成果主義ではなく、経過・プロセス主義である。結果よりも過程が重要。

死ぬということは肉体から離れて生きるということ。WHO(世界保健機構)が健康の定義にスピリチュアル(魂)を入れた事はすごいこと。

「どんなことにも理由がある。人生とは自分で自分に与えた問題集である。」

自分で評価すること。自分で生まれる前に計画し与えた試練(病気や困難なハードル)に直面したときにどのように対処するかが重要。挑戦するのか逃げるのか?その採点をするときがくる。試練が多いということは磨くことが多いということ。生きるレベルとはその人が解くことができる所。他者と比べることが如何にナンセンスか?高校生が小学生の問題を見てうらやましがってもしょうがない。自分の人生を生きるのみ。

運命の赤い糸は本当にある。つらい失恋も自分にとっては必要なこと。夫婦は生まれ変わってもほとんど同じ相手。性格や顔形はその場その場で違う。袖擦りあうも他生の縁。近くにいる人は生まれ変わっても何回もいる。親子、夫婦はどうしてもそうでなくてはならなかったから。一番後悔することは親孝行できなかったこと。

「よしがんばるぞ!」という気持ちが大切。やることはめんどくさいのだが、行動することではじめて成長する。考えているだけではダメ。そこに他人の評価は必要ない。地上で一瞬一瞬を精一杯生きること。やるべきことが終わるまで死ぬわけにはいかない。

以上が私のメモでした。もっとこの情報をお知りになりたい方は是非先生の本をご購読ください。

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