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2009年3月12日 (木曜日)

到達基準

連綿と続く長い時間の中で、人は生まれて死んでいく。

日本はすでに、死に逝く人数が、生まれ来る人数を超える時代を迎えています。

100万人生まれて、100万人死んでいく時代。古事記におけるイザナギとイザナミの約束が本物になっています。

その時代その時代における価値観の中で、人が生まれた目的としての自らの成長をどこに求め、誰と何をするか。

その一つの基準は「成功感、幸せ感、満足感」にある。

その対象が地位・名誉・欲得ならば「栄達」といわれるし、
自分満足であれば「自己充実・自己実現」となる。
その状態を外に求めるか内に求めるかの違い。

日々それを感じることができ、将来の夢にもそれを見ることができれば上々。
ただ、その状況を永続させることは難しい。

栄枯盛衰は世の習い。

その状況は一瞬の通過点に過ぎないのです

では、どこを到達基準に人生を考えるか。

最大の到達基準、それは、

『死』の瞬間。

人は生まれ変わります

人の本質は光、魂。

魂にとって『死』とは終わりではなく、一通過点に過ぎない。

ただ、日本の場合には戦後教育によって死というものの価値観をタブー視してきました。死生観という古来日本の伝統文化が隠されてしまった。

教育や世間の話題の中で『死』とは、話してはならないもの、忌み嫌うものという価値観が出来上がってしまっています。

しかしながら、人生の中で唯一間違いなく約束されているものが『死』です。

そこを語らずしては、人生途上における幸せ感や成功感、満足感は本来の意味を見失う。

『死』を迎える時、今生生きてきてよかったと、本心からいえることが成長の証し。

そしてまた次の世で、今生出会ったみんなと、お互い役割りをとっかえひっかえしながら、また生まれ来るまでちょっと先に休みに行くよ♪、というのが『死』です。

人は生まれ来る時泣き叫び、世界は喜びに溢れる。
人は死に逝く時、世界は泣き叫び、我は喜びに溢れる。
という真意はここにあるのです。

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コメント

よいお話です。さいきん同級生が病気で亡くなりましたが、彼女の分も命あるかぎり充実した人生を送りたいと思いました。この時代にこの国に生まれて健康なわたしたちはしあわせですね。

投稿: MIYOSHI | 2009年3月12日 (木曜日) 23:17

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